ニュージーランドの経済財政改革・政治

ニュージーランドの経済財政改革

ニュージーランド(NZ)の経済財政改革は80年代から始まっている。現クラーク政権は経済改革として産業振興、公的年金制度の見直し、雇用契約法の廃止、研究開発補助金、公共サービスの充実などを打ち出している。また従来とは異なる労災の再国有化も政策として取り上げている。現在までに高齢者年金支給水準の引き上げ、所得税率の引き上げ、事故社会復帰補償公社(ACC)の再国有化、年金基金法(年金の支給額を平均賃金の65%に固定)、S-16戦闘機導入の中止、空軍攻撃部隊の廃止などを行っている。これは経済財政面で財政負担を減らして「小さな政府」を構築するためである。

 

84年に実施された経済財政改革はロジャーノミックスと呼ばれ、労働党のロンギ首相が始めた。その中には財政、税制、金融、行政、政治、教育、医療、年金、社会改革がある。マクロ経済面では物価の安定とインフレ抑制のため金融引き締めを行った。物価を安定させるために、中央銀金の役割を物価安定に限定した。また財政均衡を行い、税収入が減れば財政支出を増やさないとするやり方で財政を調節していった。また為替管理を撤廃し、企業の貸し入れの規制をなくした。ミクロ経済面では市場の原理を活用した経済政策を推進し、民間企業による活発な自由競争原理を導入した。そして独占の撤廃(主に電気通信)、外国企業への門戸開放(主に国内航空、銀行)、公共事業の企業化または民営化、規制緩和などを行い、外資系企業もNZ市場に参入しやすくした。また通信、郵便、運輸などの省庁の統廃合や、公務員の削減も行った。1986年にGST(一般消費税)も導入され、卸売り税など間接税の廃止、所得税の引き下げが行われた。1988年に公務員改革が行われ、その中の公的部門法で、事務政事官は契約制となった。これで公務員は達成度に基づいた契約(5年間契約)で雇用され、期待された結果を納税者に出さなければならなくなった。

 

90年代のボルジャー国民党も同じ路線を踏襲し、労働党が手につけなかった社会福祉分野における改革に着手した。福祉においては、国立病院の民営化、医療負担額の引き上げ、家族手当の削減、年金受給者資格制限(65歳以上)などが行われた。91年には労働組合への強制加入を廃止し、労働組合との交渉から企業個別交渉(雇用者と被雇用者との直接交渉)へ変えていった。このようにして労働組合の力を減速させ、労働市場を自由にした。事故社会復帰補償公社(ACC)へ民間企業が参入することも認めた。この様な形で経済、財政、福祉、労使の面で改革を行い、小さな政府を作っていった。

改革は企業側にとってコストの削減、生産性の向上プラス効果などの多くのメリットを作ってきた反面、長期的には競争に打ち勝った企業によるかっせん状態を引き起こしたり、合理性が前提となるので雇用に結びつかないなどの問題点を残している。

 

外交政策

83年にNZは豪州とCER(緊密化協定、自由貿易協定)を締結し、農業やサービスを含める関税が撤廃され、基準認証や税制の統一化が進み、豪州とNZの市場は一本化されている。米は豪州に継ぐ二番目に大きい貿易相手国であり、経済的に重要である。NZは英国が1973年にECに加入したために伝統的な輸出市場を失ない、今では積極的なアジア外外交を展開している。日本は豪、米に継ぐ三番目に大きい貿易相手国で、日本はNZから一次産品(酪農、肉)を、NZは日本から機械類、自動車をそれぞれ輸入している。またNZはシンガーポールとも自由貿易協定を結んでいる。

 

軍事面では1991年に豪州とCDR(Closer Defense Relations)が締結され、両国間の軍の保管関係強化、調達、演習、部位編成、展開面での協力が維持されている。NZは米国と豪州とANZUS条約(集団防衛権)を締結している。しかし、1985年に米軍艦が核兵器搭載の有無の通報を拒否したままNZに入港しようとしたので、当時のロンギ労働党政権は米軍艦の入港を拒否。これにより、米はNZ間のみANZUS条約(集団防衛権)を凍結している。しかしテロの際にはNZ政府はSAS(特殊部隊)の派遣(情報収集を含む)などの支援を米国に行っている。1987年には原子力推進艦船の寄航、核兵器の持ち込みを禁ずる非核法が成立した。1995年にボルジャー首相が訪米した際に米NZ関係は部分的に修正されている。

 

先住民問題

先住民問題として、長い間マオリ人の権利問題があったが、1840年のワイタギン条約で、マオリ人の権利回復運動が可能になった。マオリの主権、土地、森林などがワイタギン条約で英国王室の保護下におかれるので、マオリ人達はそれらを白人から守られるものと信じていた。しかし、白人やNZ政府はそれを無視し自分達の都合のいいようにマオリの土地に関する条約を変更したりしていた。しかし1970年代に若いマオリ人が先住性をアピールし、ランドマーチが展開され、長い間没収されていた自分達の土地を返還するよう求めてきた。そして政府は先住民に土地を返還することを決めた。その後ワイタギン裁判所が設置され、条約違反の紛争が審査され、土地に対する金銭的な補償や漁業権に対する保障も行われた。先住民に関しては福祉や雇用の面においても白人同様の充実化が求められている。